評論の部屋
こちらのコーナーでは、評論家の方による宇宿さんの演奏評を掲載します。
浅岡弘和氏評
浅岡氏による宇宿評です。
文章の掲載につきましては、音楽現代編集部および浅岡氏よりご快諾を頂きました。
この場を借りてお礼申し上げます。
「音楽現代」2001年10月号 「コンサート・クリティーク――演奏会評」
◆第1回平和祈念コンサート
「NPO対人地雷廃絶支援」
二十一世紀初の終戦記念日に、大田区議会が何と現代の魯山人、(音楽界で尤も有名なる無名人)宇宿允人とフロイデフィルによるベート−ヴェン「第九」を中心に平和コンサートを開催。
まず地雷廃絶を願った「青い星に平和の種を」(渡部満智子作詩、栗田信生作曲)に続き、「エグモント序曲」。狷介な人柄が災いしてか毀誉褒貶の激しい人物だが実力は本物! 冒頭の荒々しく壮絶極まりない響きといい今時ほかでは到底聞けない「骨太」のベートーヴェン。
そしていよいよメインの「第九」(独唱:生駒圭子、古市尚子、青地英幸、山口俊彦。合唱はフロイデ合唱団他)。筆者にとっては実に17年ぶりの宇宿の「第九」だったが、以前に比べスケールも格段に大きくなり、雄弁で確信に満ち、冒頭から朝比奈を思わせる弱音無視、第1主題の超巨大な再現などティンパニも効果的、総じてオーソドックスで格調高い名演に仕上がっていた。現今、これを上回る「第九」というとヴァントのCD−Rくらいか。(8月15日、アプリコ大ホール)
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「音楽現代」2001年12月号 「コンサート・クリティーク――演奏会評」
◆第132回宇宿允人の世界
「チャイコフスキーの遺産」
当日のプロは幻想序曲「ロメオとジュリエット」、交響曲第五番と「悲愴」というアンコールまで入れれば三時間近いヘビーなもの。かつて筆者にとって宇宿は「フィンランディア」の指揮者であった。地の底で呻くような塗炭の苦しみからミラクルパワー全開の勝利の凱歌へ。だが朝比奈調の弱音無視もあり、雄大なスケールを獲得したこの日の演奏は居直った弱者即ち暴君などではなかった。この演奏なら昔は一番遠い作曲家だったブルックナーも案外イケルかも。
後半の「悲愴」もスケルツォの最後が崩壊するほど即興的な演奏であった。ここにはチャイコフスキーの自暴自棄さなど微塵もない。周知の通りこの曲に秘められた内容はひどく病的であり「フィンランディア」指揮者宇宿はかつてそこに飛び込み、一緒になって苦しんでいたのだがおそらく今はもう苦しんではいまい。自在の境地に達した彼はこの破滅的な曲を利用し、こんな病的な曲ではなくては言えないようなことを言うため自在な腕を振るっているのだ。(10月7日、東京芸術劇場)
「音楽現代」2002年9月号 「コンサート・クリティーク――演奏会評」
◆第138回「宇宿允人の世界」
ベートーヴェンチクルスの第二回、前半最初のコリオラン序曲はまさにフルトヴェングラーの現代版だ。この曲をこんなに熱く演奏できるのは世界広しと言えども宇宿允人唯一人だろう。続く「第二」も暴れん坊で宇宿絶好調の演奏。それにしてもこの日の宇宿は一皮剥けたというか、化けたというか、後ろ姿からオーラがビンビン出て来るし、凄まじい緊張感!第1楽章コーダなどベートーヴェンの不破の魂が躍動するようだった。
後半の「田園」は特に前半が巨大で重厚なユニーク極まりない名演。フルトヴェングラー顔負けの超スローテンポに強力な低弦、「田園」というより一つの巨きな絶対音楽という感じで、重い固執音型もまるでブルックナーのよう。第2楽章は伴奏の弦のアーティキュレーションが素晴らしく音楽が自然に生きて流れていた。「嵐」もティンパニが壮絶に決まり、フィナーレの既に救われている者の神への感謝の祈りも絶美の表現、第2主題部分のホルンの最強奏などブルックナー「第八」の音型に聞こえたほど。(7月21日、東京芸術劇場)
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「音楽現代」2002年10月号 「コンサート・クリティーク――演奏会評」
◆第二回平和祈念コンサート
宇宿允人、フロイデフィルならではの重厚長大なプロの最初は「エグモント」序曲。最近の宇宿は最晩年のフルトヴェングラーを思わせる何か幽鬼のようなこの世ならぬ雰囲気が出て来ており、以前のように力づくという感じは全くないが迫力充分で流れが大変良い。次の「運命」も大風呂敷を広げたという印象は皆無で、むしろ飄々とした自然体の「運命」だが実に格調高く、フィナーレの熱情はさすが。
後半の「第九」は例によって冒頭の弱音無視といい、第1楽章から実に巨大な名演だったが、極めて自然。雄弁なスケルツォ、アダージョ後半から尻上がりに盛り上がり「警告」以降は最高、第九で最も感動的な148小節末から思わず歌い、アタッカで始まったフィナーレも冒頭から嵐のような迫力。指揮せず自然に湧き出させた「歓喜の歌」に、「神の御前に」のフェルマータは思い切り長く伸ばし、弓を跳ね上げたオケ共々長い長い見得を切った。オケに任せた終結はさながら神の花火が炸裂したよう。最後は「青い星に平和の種を」。(8月15日、大田区民ホールアプリコ)
「音楽現代」2003年1月号 「コンサート・クリティーク――演奏会評」
◆第140回宇宿允人の世界
ベートーヴェンチクルスの第4回目である。
まず最初の曲目は「レオノーレ」第三序曲。例によって冒頭のアインザッツをことさら合わせず、極度に遅いテンポを採った序奏は実に呼吸が深い。主部もあざとさ皆無の巨大な演奏でコーダは余裕を持って盛り上がった。やはり宇宿を聴くならベートーヴェンだ。
二曲目の交響曲第八番の出だしは「ジュピター」冒頭の強奏部の力強さと弱奏部の歌の対比と同工なものがあり、トゥッティとクラリネット主体の部分との対象をはっきり付けていた。そしてその二つの部分を繋ぐ行間というか間というか、フレーズの切れ目のタメが実にゆったりとしている。中間の二楽章も自然で何の企みもなく牧歌的、田舎臭いほど愉しい。メヌエット冒頭など一見やる気なさそうなクナ調のメゾフォルテだったが、この楽章の命であるトリオのホルンは絶美(チェロ伴奏の三連音は弱音)。フィナーレの推進力にも覇気が漲っていた。
後半の交響曲第五番「運命」も実に大きな演奏だったが、フレーズの切れる間はごく自然で、ぶっきらぼうなほど自然体のベートーヴェン!再現部のオーボエのカデンツァは遅く、最後の運命主題の二回の最強奏とコーダの間は「行間の宇宙」か(まるで「神の御前に」?)。アンダンテのコーダの見得の切り方も堂に入り、フィナーレの展開部の金管こそやや弱かったものの、この日は全て指揮者が煽るのではなく、音楽が自ら語り出すかのような演奏だった。宇宿はとかくフルトヴェングラーのような「熱い」指揮者と思われており、筆者も本誌九月号で「熱血指揮者」の一人に採り上げたのだが、この日の演奏を聴き、実際はクナッパーツブッシュ、クレンペラータイプの「巨人」指揮者(小さな巨人?)であることを確信した。もっとも三人とも三者三様で似ても似つかないが……
昨年、我々は世界一のブルックナーを失ってしまったが、今、世界一のベートーヴェンを得たのだ。(11月1日、東京芸術劇場)
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「音楽現代」2003年3月号 「コンサート・クリティーク――演奏会評」
◆第142回宇宿允人の世界
宇宿允人/フロイデフィルによるベートーヴェンチクルスの第五回はまず近藤ひかりの独奏によるモーツァルト/フルート協奏曲第二番で近藤の優美なソロが光っていた。メインの「第九」(青柳有香子、末芳江、佐藤敦史、山崎岩男、フロイデP合唱団他)は正に世界一のベートーヴェン!筆者が今までに聴いた「第九」では文句なしのベストワンだ。第1楽章第1主題のアゴーギクからからやり尽くしていてものすごい迫力。宇宿は流行の今風のベートーヴェンには目もくれず「第九」のスコアを立派に鳴らすことしか考えていない。響きに厚みがあり低弦も良く鳴り音が活きている。展開部など背に全人類の悲しみを背負っているように感じられたほど。スケルツォのリズムの強靭さも特筆すべきでティンパニが激烈。アダージョも第2主題に入るだいぶ前からテンポを落としたり緩急自在で識者の意図が末端まで浸透していた。「警告」の後は実に凄惨な響き。フィナーレのガッと来る低弦の実在感、変幻自在のテンポ、自然発生的な歓喜の歌も感動的。(12月27日、東京芸術劇場)
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「音楽現代」2003年3月号 「音現新譜評」
ベートーヴェン/エグモント序曲、同交響曲第5番ハ短調「運命」、同交響曲第9番ニ短調他
宇宿允人/フロイデフィル、佐々木伸、末芳江、佐藤敦史、雨谷善之、フロイデ合唱団他[02・L]大田区議会議員製作 B−2217〜8 3000円
推薦 昨年8月に大田区アプリコで行なわれた平和祈念コンサートのライブ。「エグモント」は力ずづくという感じが全くせず迫力充分な上、流れも大変良い。「第5」も大風呂敷を広げたという印象皆無で、むしろ飄々とした自然体のベートーヴェンだが格調高くスケールが大きい。フィナーレの熱情のさすがでCDとしては11月の名盤も上回るだろう。後半の「第9」は例によって冒頭の弱音無視といい、第1楽章から実に巨大な名演だが爆演というより極めて自然で現今これだけの「第九」を振れる指揮者は世界中見渡しても宇宿一人だろう。雄弁窮まりないスケルツォ、アダージョ後半から尻上がりに盛り上がり「警告」以降の意味深さは最高!「第9」中、最も感動的な148小節末は思わず歌い、アタッカで始まったフィナーレも冒頭から嵐のような迫力で「神の御前に」のフェルマータは思い切って長く伸ばし、神々の花火が炸裂したようなコーダへ。
「音楽現代」2003年3月号 「音現新譜評」
「宇宿允人の世界]」ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調「運命」、同交響曲第8番ヘ長調
宇宿允人/フロイデフィル[02・L]東京芸術音楽協会 MUCD−010 2000円
推薦 昨年11月に芸劇で行なわれたベートーヴェンチクルス第四回のライブである。「第5」は冒頭のエネルギーの放出からぶっきらぼうなほど自然体のベートーヴェン!フレーズの間もごく自然で再現部のオーボエのカデンツァは遅く、コーダの運命主題の二回の最強奏と最終楽節の間も意味深い。仰ぎ見るように立派な演奏でアンダンテ以降も宇宿の音楽を通して運命と格闘するようなベートーヴェンの不撓不羈の魂が躍動する。指揮者が煽るのではなく音楽が自ら語りだすような名演だ。「第8」は冒頭のアゴーギクから個性的だが自然で強靭なリズム感といい小型エロイカと言いたいほどで従来のイメージを覆す。第2楽章は自然で何の企みもなく牧歌的で田舎臭いほど愉しい。コーダの豪快笑いも印象的。メヌエット冒頭はクナ調のメゾフォルテでスケール雄大、トリオのホルンとクラリネットも絶美。フィナーレの推進力は覇気が漲り、ワインガルトナー、クナッパーツブッシュと並び「第8」のベスト3を形成する名盤の登場。
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「音楽現代」2003年5月号 「コンサート・クリティーク――演奏会評」
◆第143回宇宿允人の世界
昨年のベートーヴェン・チクルスとはうって変わった弦楽アンサンブルによる室内楽コンサート。宇宿というと兎角「爆演」のイメージ濃厚だが当夜は見事に払拭、最初のバッハ/管弦楽組曲第二番から真摯で透徹した名演だった。フルートの吉崎叶都子も好演。次の「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は第1楽章の提示から天衣無縫で格調高く、第2楽章など高雅の窮みだが第2部分でテンポを速めるなどモーツァルトらしい変幻自在な解釈。メヌエットも立派でトリオには天国的なたゆたい、フィナーレには天使の微笑が漂う。当夜の白眉レスピーギ「リュートのための古代舞曲とアリア」第三組曲は飄々とした墨染めのように地味で自己に沈滞した音楽。パッサカリアは熾烈でバッハのように響いた。
後半のチャイコフスキー/弦楽セレナードは序奏から過去への回想か、望郷の念が痛いほど感じられたが全然ロシア風でなく贅肉のないキビキビしたチャイコフスキー。エレジーの懐かしさも格別で、いじらしいほど情緒纏綿としていた。(3月17日、東京芸術劇場)
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「音楽現代」2003年7月号 「コンサート・クリティーク――演奏会評」
◆第144回「宇宿允人の世界」
前回同様チャイコフスキーがメインのプロで、まずはワーグナー「タンホイザー」序曲。いつになく沈んだ冒頭から堂々たるトロンボーンの吹奏まで実に格調高い序奏部。活気に溢れた主部もヴェヌス賛歌のトランペットのアクセントが効いていた。
次のリスト/ハンガリー狂詩曲第二番嬰ハ短調も雄弁極まりない指揮ぶりで、フロイデフィルも好調。クライマックスはいかにも宇宿らしい芝居気たっぷりな爆演だった。リズム感にも優れ、噴飯物の面白さの終結へ。
後半のチャイコフスキー/交響曲第五番ホ短調も陰欝な序奏から沈み切った静的な演奏だったが、遅いテンポの主部は流れが滞り勝ちで楽奏の変転もやや唐突な印象。第2楽章はクラリネットがコケたものの静謐さが見事で挿入されたシンバルも効果的。フィナーレは淡々とした冒頭から第1主題の登場辺り、実に素晴らしい表現力だ。アンコールもチャイコフスキーで「白鳥の湖」から『情景』と『ワルツ』。いずれも名演だったが、やはり宇宿にはベートーヴェンが良く似合う。(5月24日、東京芸術劇場)
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